よねろぐ!

新潟県上越市で活動中のサポートドラマー。音楽から超どうでも良いことまで幅広くカバー。美味しいものはすこしだけ。

アメリカに行きます(日記226)

2018年、我が家に衝撃が走る。

姉がアメリカ人と結婚したのだ。旦那の名前はISSEI。よく食べ、よく飲み、よく喋る手足の長いナイスガイだ。ISSEIは仕事でよく日本とアメリカを行き来しており、旅慣れている。

そんな旅慣れているISSEIから「アメリカ来たら?」と軽く言われたのが事の発端。まぁ確かに、姉夫婦がどんな生活をしているのかチェックするのも本家の長男たる僕の使命であるし、これを機会に初海外・初アメリカに行ってしまおうという気になった。

が、このあと世界はとんでもないことになる。

新型コロナウイルスの世界的感染爆発。

記録を見ると日本では2019年12月に国内で初めての罹患者が発生してしまい、このあたりから騒ぎになっていたようだ。当時の僕としては2020年の3月末~4月初旬に最初の渡米を設定していたのだが、この頃のアメリカは万が一罹患していたら空港近くの施設で2週間隔離された後に日本へ帰国という意味のないものになってしまう危険性が高かったし、この頃の海外旅行へ行くということの「ヤバさ」はいわずもがな。

さてそこから月日は流れ、今僕らはアフターコロナの世界で悠々と暮らすことができている。当たり前が当たり前になったこと、日常が戻ってきたことはとても喜ばしい。

そして今年、いよいよ渡米の計画を実行に移すことができたというわけだ。

正直、今となっては僕はこの期間があってよかったと思っている。コロナの間は海外どころか国内の普通の外出でさえ白い目で見られていて窮屈だったが、この間にISSEIとオンラインで通話したり、コロナがゆるくなってきた昨年などは仕事で来日したISSEIと横浜で飲み歩いたり観光したりと、姉の旦那という絶妙な関係を突き抜けた友情を育むことができた。その中でSSEIがかなりのオタクであることがとても良くわかったのでこっちとしても関係を深めやすかったのだ。

少し前に横浜でシェイクシャックバーガーを食べたという記事を書いた。これは正にISSEIと観光をしていたときの一コマで、思い返せばこの頃から僕の身体はアメリカナイズされていたのかもしれない

yoneco303.hatenablog.com

渡米へ向けた申請書類を作成しているとき、自分のパスポートの発行が2018年であったことに気づいた。

当時の僕は、姉が国際結婚したときから一歩踏み出していたのだ。