よねろぐ!

新潟県上越市で活動中のサポートドラマー。音楽から超どうでも良いことまで幅広くカバー。美味しいものはすこしだけ。

陰陽座「龍凰童子」(日記211)

陰陽座の新アルバム「龍凰童子」を聴いています。

黒猫さんの突発性難聴発声障害を乗り越えての新アルバム発表ということで、ファンとして涙流しながら聴き込んでいます。

陰陽座を聴きながら信長の野望をやると意識は戦国時代へ、時間は未来へ飛び立てるんだァ。

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陰陽座を初めて聞いたのは高校1年の夏。

バイト先のラーメン屋(兼 割烹料亭)のラーメン屋店舗の有線BGMで、なんの曲か忘れてしまったが「ドットタンドドタン」のリズムでバスだけがドンシャリで抜きん出ててそれが逆に軽く聞こえてしまい「こんなのメタルじゃない!」「やっぱりメタルはアメリカぜよ!」と思いながらDreamthraterに陶酔していたあの夏のことです。

今となっては当時の僕に「アルバムで聴け」と言いたいし、結局その数ヶ月後か何かに「月に叢雲花に風」を聞いた瞬間、メロディーの美しさとテーマの儚さに感動することになるのだけれど、それでも当時から「ドッドタンドドタン」を多用するリズムパターンはちょっと苦手ではありました。妙なところでハイハットのオープン・クローズが入るし。

後にSlipknotという巨大な黒船と出会ってしまい、KillswitchEngageやAllThatRemainsの超絶爆速パワードラムに永久歯が生え変わりそうになるほどの衝撃を食らわされているうちに、余計にトラさんのドラムがメタルバンドのわりに真っ向勝負していないように感じ、小賢しいプレイスタイルに聞こえてしまっていた若き日の僕。青臭い。

あと当時の陰陽座は今ほど「妖怪ヘヴィメタル」路線が明確に打ち出せてなかったかもしれません。和服のロックバンド、という印象に近かった気がします。

いずれにせよ、自分の中に変なこだわりを持っている内はどれだけ良いものが目の前にあったとしても気付くことはできない、という教訓になる出会いでした。

僕の中で陰陽座とちゃんと向き合うきっかけになったのは、大学時代に属していた音楽サークルで「ターキー」という音大の先輩との出会いでした。彼の陰陽座愛は強く、自身の卒論テーマにした程で「おれは陰陽座で学位を取得したのだから陰陽座研究家と名乗る」とまで言っていました。理屈は通っている。

そんなターキーがいくつか陰陽座のアルバムを押し付け貸してくれて、アルバムを通して聞くようになってからどっぷりと、その深みにハマっていたのを記憶しています。ターキーとはその後、陰陽座のコピバンも組みました。

若き日に苦手だったトラさんのドラム。しかしそのドラムをコピーするうちに繊細で緻密なテクニックが星屑のように散りばめられていることに気付かされました。楽器隊との掛け合い、女性ボーカルである点など、ドラム単体で見ていては気付けない確たる技術がありました。

また部分的に自分流にアレンジする作業はクリエイティヴで楽しかったし、何よりメタルのサウンドで自己表現できたこと、陰陽座の歌詞と楽曲に秘められた日本神話の奥深さ、人間の性と業、妖怪目線のメッセージなどは、自分たちでコピーしてみてより身近に感じる事ができました。感情が入っていたのです。

特に2014年にアルバム2枚同時発表された「風神界逅」「雷神創世」は痺れた楽曲が多く、「夜歩き骨牡丹」はいつ聴いても震えるほどカッコいい曲です。

大和言葉の美しい歌詞、語呂のリズム感、和音のメロディー、リフがすべて一体化しており、ボーカルとギターリフとの掛け合いは見事としか言いようがありません。誰がどこの見せ場を持つかが明確で、一曲一曲のテーマがより増幅されています。

他にもアルバムに限らず「文車に燃ゆ恋文」「奇子」「轆轤首」「眼指」「相剋」「鳳翼天翔」「不知火」あたりは何度聞いても間違いない納得と関心と、感動を覚えるものです。

僕はオタクなので、神話や妖怪、魑魅魍魎の類の存在について肯定的です。陰陽座は楽曲を通してそれら有象無象の存在たちの声なき声を世に知らしめてくれています。妖怪どもの怒り悲しみ恨みつらみ、そして自身の役割と矜持を代弁しているかのように、雄弁に表現しています。

妖怪、砂かけ婆の恋心をテーマにした曲「御前の瞳に羞いの砂」などは、砂と泥に塗れた醜い姿になってしまってもときめきと恋心、そして恥じらいの気持ちと僅かばかりの色気を持ったオトメ心を絶妙に表現しているし、「轆轤首」も別角度での女心を裏打ちと跳ねたリズムでダンスナンバーとしながらも、ややもの悲しい歌詞とメロディーで表現しているのは秀逸としか言いようがありません。

かと思えば「天獄の厳霊」のような、煉獄の逆の空間(施設)という発想から峨々とした霊験あらたかな様をパワーメタルど真ん中の力強さで押し出している曲もあれば、「腐蝕の王」は曲のテーマを飛び越え、ネガティブな腐蝕というイメージを創造の前の破壊という肯定性を持たせることでヘヴィメタルというジャンルそのものを背負っているのだという自負の現れを表現しているのです。

とにかく陰陽座の、その豊富な経験と弛まぬ研究に裏付けされた確固たる表現力は、幾ら聴き込んでも聴き込んでも、永遠に感動と満足感を与え続けてくれるのです。

 

そんな陰陽座の最新アルバム「龍凰童子」は先にも書きましたが、ボーカル黒猫さんの不調から復帰を果たしたアルバムということもあり、ファンとして涙しながら聞いています。とりあえず、MVであがっている「茨木童子」について話をしようと思います。

茨木童子は有名な鬼、酒呑童子の家来である鬼で、酒呑童子と共に山を下っては京の都を荒らしたそうです。そして渡辺綱の討伐により酒天童子が倒され、自身も片腕を切り落とされてしまいますが、茨木童子は腕を取り戻すために何度も渡辺綱に挑む、という話が多いようです。茨木童子については諸説、様々なストーリーがあるようですが、これが主だった話の流れだとか。

当時の人々が悪事を働く悪人を鬼と呼び、恐れ警戒したならば、彼らは実在したと考えても良さそうです。

茨木童子酒天童子もその出生は諸説ありながらも、新潟県越後国)出身の説があるというのが新潟県民としては見逃せないところです。話は逸れますが九尾の狐、玉藻前の化身である殺生石越後国へ飛来したという説があり、神話との関わりが深い地域なのかもしれません。

さて、この茨木童子をテーマにした曲について、陰陽座のリーダー瞬火さんの楽曲解説によれば「茨木童子は成敗された悔しさにより何度も時代をタイムリープし、腕を切られない世界線を求めて時間の渦を彷徨ったのでは(意訳)」という物語に仕立てたようです。タイムリープしているうちに、いわゆる「諸説」が生まれそれぞれが伝わった、という「妄想」だそうですが、さすが、ユニークで面白い着想だと思います。

鬼をテーマにしているだけあって、ゴリゴリのギターリフとユニゾンを多用したメタル曲に仕上がりつつ、黒猫さんの美しいボーカルが抜きん出ていてバランスの良い曲だと感じました。Aメロ、Bメロ、サビ、ソロ、Cメロ、サビ、そしてラスサビ前にもうひと展開、という王道を征く展開。おどろおどろしさも感じます。最後は切られた腕のように「スパッ」と終わる。

 

このアルバムで一番の問題作は茨木童子より2曲後の「滑瓢」だと思うのですが、「茨木童子」→「猪笹王」→「滑瓢」の曲順は通して聞いてこそだと思います。強めの曲の連続でありながら「滑瓢」で怖さとおどろおどろしさがMAXに。戦慄のクリーンナップであり、技が光っています。

 

アルバム「龍凰童子」を通して陰陽座の地力、底力、表現力に改めて感動し、復帰に最大級のお祝いの気持ちを持って、これからも聴いていきたいと思います。

陰陽座はこの国の民族と神話を背負っている。そう思えてならないくらい、真っ直ぐなバンドです。