今年の5月、僕はdreamtheaterの東京公演へ行く予定です。先行でチケット用意してくれたsgb、本当にありがとう。
ずっと好きだったdreamtheater。初めて演奏を生で見ることができる。今から心が踊っています。どんな顔して彼らの公演を受け止めればいいんだろう。
そして今、メンバーの中でも特にクラシック要素が多いJ・ルーデスの2019年のソロアルバムを聞いています。
音楽の酸いも甘いも知り尽くしているこの人のメロディーセンスは凄まじくて、どの曲とっても映画の音楽になり得る。1つのものを突き詰めて高めるのは継続の力で成し得るのかもしれないけど、ルーデスの音楽の多彩性・多様性は天才の域にあると僕は思います。
明るい曲も暗い曲も、静かな曲もうるさい曲も、多種多彩な曲が書けるというのはやっぱり天才だと思うんです。僕は曲は書けないけど好きに言わせてもらうね。
作り手の傾向性って絶対あって、手癖も含めて「ああ、この人の曲っぽいな」って思うことって結構あるじゃないですか。
音楽は一つの言語だと思うんですよね。ルーデスはピアノと向き合っている時にどんなことを考えてるのか。この音はいいなぁとか思いながら弾いているのか。想像しかできませんが、僕らが心境を言葉に表すように、ルーデスはメロディーと鍵盤の強弱で「それ」を表現しているんだと思います。だから言語って言って良いはず。悲しみとか喜びとかが伝わるもの。
それらを数生み出せることが天才だと思うわけ。産みの苦しみは絶対にあるし、これだけ世界的なアーティストになればファンの意見とか何気ない感想とか、見てしまえば迷いになるはず。
それでもでもこの人達はずーっと音楽をやって、曲を書き続けて、深いところでいろんなことを考えて考えて考えて、最前線で音楽をやっている。
さてルーデスのアルバム「Heartfelt」
やっぱり物哀しい感じがあるな。ルーデス。僕がこの人の(Dreamtheaterの)曲が大好きなのは、暗くて悲しくて不安で切ない気持ちにさせられるけど、でもどこかに絶対に救いのような、前向きで優しいメロディーを入れてくれるから。
最初にも書いたけどこの多彩さがやぱり天才だよなって思う。
こういうコントロールできるってやっぱり酸いも甘いも知っているってことなんだろうなぁ。素晴らしいよ。
あー、なんか。もっと早くソロ・アルバムきいてればよかったな。深夜が捗る。
ここまで書いて次のアルバム、2013年の「All That Is Now」聞いてる。深夜が捗る。
そうだ。今日なんでブログ書こうかと思ったかってーと、2月1日にdragonchinaのイベントがあるじゃないですか。大事なイベントの前ってどーしてもセンチな気持ちになっちゃって、練習しててもスティックが重くて上手くいかないんすよ。
マルコ・ミネマンのプレイスタイルからなにか盗めないかなって夕飯食べてから3時間位動画見て研究してたんだけど、「おっ、これいいかも」っていう技を見つけてもスティックを握るとその瞬間に自分の技量がわかっちゃって。萎える。こんなんでライブ上手くいくんすかね。
っていう嘆きをしたくてブログ開いて文字打とうとしたら関連動画にルーデスが空港でピアノ弾いてる動画が滑り込んできて。ちょっと見たらそういえばソロアルバムだしてたよなって聞いて、今に至る。
ルーデスの豊かな表現の曲を聞いたら少し元気になったよ。
こういうときは強い個性と自己信頼。自家発電して前向きに、だ。