よねろぐ!

新潟県上越市で活動中のサポートドラマー。音楽から超どうでも良いことまで幅広くカバー。美味しいものはすこしだけ。

夏子の冒険(日記201)

「ああ、誰のあとをついて行っても、愛のために命を賭けたり、死の危険を冒したりすることはないんだわ。男の人たちは二言目には時代がわるいの社会がわるいのとこぼしているけれど、自分の中に情熱をもたないことが、いちばん悪いことだとは気づいていない。」

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平成生まれの僕にとって三島由紀夫はその激烈な最期を遂げたイメージからもっとギラついたというか、抜き身で振り回された刃物のような強い作風を想像していました。しかし今回読んだ「夏子の冒険」は内容もさることながら、清涼で爽やか。清々しい文脈で臨場感と没入感たっぷりの作品でした。

そして爽やかさの後ろ側には情熱のエネルギーがありました。とても素晴らしい、美しい、に尽きる文学作品で琴線に触れ、気持ちが昂ぶっています。

ざっくりとしたストーリーとしては、いいところのお嬢様である夏子がある日、情熱を持たない男どもから言い寄られる日常に嫌気がさし、いっそ函館の修道院で尼として出家することを決めてしまいます。急な申し出に両親も、祖母も、同居している叔母も反対しますが、頑固で天真爛漫な夏子は家族一同を半ば恐喝し、困り果てた母、祖母、叔母と共に函館へ、別れの旅に向かいます。

その道中、夏子は毅という猟銃を持った青年と出会い、毅の中に他の男どもには無かった情熱を見出します。毅の情熱とは自身の「仇」を討つために北海道に生息する四本指の熊を仕留めること。夏子は函館まで来ていた母、祖母、叔母の前から姿を消し、毅に惹かれるように熊撃ちに同行します。

北海道で繰り広げられる毅と夏子の冒険と、本当に様々な人を巻き込みながらの逃走劇を描いた作品が「夏子の冒険」です。

心情描写は無駄がなく、さっぱりとしていて読みやすい。やはり三島由紀夫の中に確固とした「これを描きたい」というものがあり、登場人物を通してそれらを表現し、作中それが一切ブレていないことがこの爽やかさに繋がるのだと思います。

芯があって靭やか。それでいて活劇風にコミカルに描かれる登場人物たちがいたりショッキングな出来事があったりと、作品を面白くするための舞台装置と風呂敷は大きく広げられているのに全て納まって見事に決着してしまう、ロジカルな心地よさも感じます。

天才作家と呼ばれる三島由紀夫。何事においても本物の天才とは、僕のような一般人にもわかるように表現してくれる人物なのだと思います。理屈がわかっているから、あるいは、目的としているモノがはっきりと見えているからこそわかりやすく説明できるのであって、難しいものを難しく表現したところで周囲には何も伝わらない。

三島由紀夫はこの点において一般読者にわかりやすいような表現をしつつも論点がブレておらず明確でありました。やはり天才なのだと敬ってやみません。

意外に感じたのが、三島由紀夫の登場人物の心情描写は男性より女性の方がはるかに美しく、極まっていたところです。

主人公、夏子の天真爛漫で掴みどころのない性格は、実は男どもの中に自身と釣り合うだけの情熱があるか推し量っていた結果であり、その情熱とは一般社会の線上にいる僕らが思いつくような出世欲だとか金銭欲だとか承認欲求のようなものではなく、もっと本能的な、魂の根源から湧き出てくるものだと確信していたのです。

もしかしたら三島由紀夫は主人公、夏子を通じて問うていたのかもしれません。情熱は持っているか、と。

国語の教科書に載っていてもおかしくないくらいの作品だと思うのです。

思春期くらいの年齢に出会っていたら、人格形成や感性の豊かさに確実に影響していたでしょう。三島由紀夫の素晴らしいところは、素直で真っ直ぐな性格とそれを的確かつ爽やかに表現できる文才なのだと思います。精神も肉体も未成熟な時期に明確さを持った表現をぶつけたかった。

夏子のことをどんな娘かと表現しようとすると、狡猾というと悪意がありすぎる気がします。強かで抜け目がない。頭の回転が早く機転が効く。正直で度胸と胆力のある20歳の娘。それでいてこだわりがないさっぱりとした性格なのだと感じて取れます。

天真爛漫。空気は読めないが、人を見抜く力がある。

われわれ男どもというのは、特に多感な青年時代のときはこういう鋭い女性にズキュンとくる生き物なのでしょう。撃ち抜かれこそしますが、こちらにもお眼鏡に叶うくらいの情熱が求められます。夏子に恋をしてしまった諸兄には共感と同情をもって慰めるしかなさそうです。

作中にはメインヒロイン夏子と対になるような素晴らしき(夏子にとっては小憎たらしい)サブヒロインも登場し、途中ではサブヒロインのほうがチャーミングに描かれる場面もあり、読者諸兄は「どっちに恋しても良い」シーソーゲーム的側面も楽しめたりします。とはいえこのサブヒロインも夏子と対を張れるくらい、男を手のひらで転がすシビれる人物ではあるのですが。

新装版となる本書の最後には千野帽子さんによる解説が収録されており、現代的な解釈で、本編に負けず劣らずな爽やかさで他の三島作品を交えながら解説してくれています。

本作「夏子の冒険」を読んで三島由紀夫に対するイメージが払拭され、爽やかなイメージに取って代わりました。親世代に三島由紀夫を読んでいると言うと少し表情が曇り「え~」というリアクションをされるのは残念でなりません。こんなに素晴らしい文学なのに。

同時に、なおさらに三島由紀夫には天寿を全うしてほしかった。

天才小説家の目では僕らの過ごした平成をどう見えたのか、知りたかったなと思いを馳せるばかりです。