よねろぐ!

新潟県上越市で活動中のサポートドラマー。音楽から超どうでも良いことまで幅広くカバー。美味しいものはすこしだけ。

人生を整える禅的考え方(日記190)

十日町市(旧松代町)室野に洞泉寺というお寺がある。僕の一家の菩提寺であり、祖父母の代よりも昔、僕から辿れば曾祖父さまの代からお世話になっているお寺だ。集落から少し高台にある境内は静かで落ち着いた空気が流れ、吹き抜ける風は清らかに感じる。曹洞宗では住職のことを「ほうじょうさま(方丈様)」と呼ぶのが正式なようだが、地域に親しまれているこの住職さんはこの集落特有の柔らかい方言も相まって「おっさま」と呼ばれている。

今回はこのおっさまと同じ宗派、曹洞宗の著者が書き上げた「人生を整える禅的考え方」という本について紹介しつつ、思いついたことを書いていく。

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最近は仕事が忙しかった。豪雪地帯で建設業をしていたら冬期に忙しくなるのは逃れられない宿命なのだと割り切るようになったが、それでも数日間会社に泊まり込み雪の番をし続けなければならないのは肉体的にも精神的にも辛い。たまに街に降り、スタバでカプチーノをすすりながら本を読むことで、少しでも健康で文化的で都会的な時間を過ごそうと、失ったものを取り戻そうとしているわけです。とはいえ、不思議なもので身体も精神も慣れるのだと実感した。何日か寝ないで過ごすことにも慣れたし、数十時間ぶっ通しで仕事をすることも慣れた。

少し正直に述べると、この「慣れ」は「諦め」に近いニュアンスがある。何日か寝ないで過ごすことを諦め、数十時間ぶっ通しで仕事することも諦めた。うん、この方が正直でよろしい。手の届かないモノを得ようとするから疲れるのであって、さっさと諦めて手放してしまった方が幾分か気が楽になるし、自分の主導権が及ぶ範囲はギリギリ維持できていると言って良い。

実はこの「得ようとしているから疲れるのであって~」のくだりは実に禅的な考え方であり、仕事に対する愚痴めいた文章がこの本に沿った内容になってきた。

禅に「足ることを知る」という言葉がある。この本にも登場し、禅の本流ド直球のような言葉だ。この言葉だけで書き上げられた一冊もあるらしい。意味としては「恵まれていることに感謝しよう」とか「自分の分相応を理解しよう」とか、様々な解釈と教えが派生しているが、僕は様々ある解釈の中で「与えられた環境の中でベストを尽くそう」という考え方がとてもしっくりくる。

人生において、体力・お金・時間の全てが満ち足りる時期は訪れないという考えを持っている。学生の頃は身体がよく動き余すほどの時間はあってもお金がなくて、社会人はお金に余裕が出ても時間がなくなり、多分老後は体力が衰えるのだろう。スポーツでも飲み食いでも、この3つが全て揃っていればどれほどハッピーな思いができるか。毎度優勝である。しかし現実はそうではなく、必ず何かが足りない時期を過ごす。

それでも、と言いたい。それでも僕らはその時期その時期で気の合う仲間と楽しく過ごし、良い思い出を築いてきている。これは与えられた環境でベストを尽くした結果と言って良く、言い換えれば足ることを知るという教えを実践し幸福を勝ち取ったと言っても決して過言ではない。そうだろう、みんなどうなの。

さてすっかり春めいてきた。高田の街はそろそろ観桜会の準備で華やいでいくのだろう。今年は会場内での飲食が解禁になるそうだ。

全てが満ち足りてなくたって、楽しいことは案外あるんじゃないの。