よねろぐ!

新潟県上越市で活動中のサポートドラマー。音楽から超どうでも良いことまで幅広くカバー。美味しいものはすこしだけ。

普通の日記(日記180)

秋になりました。とても良い季節。普通の日記を書こうと思います。

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栗ご飯は苦手なのですがモンブランは好きなのです。数年前に小布施で食べた栗のソフトクリーム?ジェラート?がとても美味しかったのを覚えています。県をまたげるようになったらまた行きたい。この日は穏やかな週末で高田城址公園のスタバで本を読んでくつろいでいました。ふと風にのって金木犀の香りがしてきました。秋だ。心にしみる。感性が高まり、より繊細になっていくようになる。ユーフォリアを感じる。スタバのモンブランケーキは甘すぎなくて美味しかったです。

書評に囚われすぎていたら10月になっていました。あれから数冊読んだのですが、ある翻訳本は直訳的過ぎて「すなわち」という表現で内容を繰り返す文面ががあまりに多く時間がかかりすぎたのと、著者を通り越して出版者の思想をこちらに押し付けられているような気がして読むのを断念。あるアーティストのインタビュー本は下書きしてあるんだけど書きたいことが多すぎて下手したら万文字単位になりそうなので分割しようかどうか悩み中。もう一冊、アスペルガー症候群についての本はまだ読み途中、という感じで、体重の乗った書評を書くんだと意気込んでいるけど至っていないところです。

そして気づく。普通の日記のことを忘れていたと。そもそもこのブログは自分の備忘録として、外部記憶装置としての役割を持たせていたのに。そんなところで、とりあえず更新はしなきゃなと筆を執っているところです。

冒頭、写真を撮ったスタバでは書評を書くつもりはないけど学生時代から何度か読んだ本をまた読み返して物思いにふけっていました。大人になってから読み返すと新しい発見があって嬉しいですね。僕はこんなミテクレでも人の発言とか浴びせられた言葉に対して繊細に感じてしまうところがあるのは知っていた。そしてどうやら普通の人はそこまで考えないし感じないらしい。少なくとも、僕に冷や水のような言葉を浴びせるその人は繊細な人ではないのだから、こちらがご丁寧に対応する必要もないわけだ。ただしこうなるとオール・オア・ナッシングで考えがちで、丁寧に対応するか、無視するかどちらか、というのもまた違う。話半分、ああその通りだなと思うところは素直に受け入れ反省し、それ以外は適当に受け流してしまえ。時期が来れば状況は変わるのだから。他人を害さず自分も害さない、発展と調和のどちらも肯定することを仏教用語で中道を言うらしい。人間関係で困ったら表向きの自分はほんの一部で良くて水面下の自分が大半だということを覚えておこう。

これは何があった、と書き立てる程のものではないのだが、最近気づいたことは大人の社会というのは人を貶めるのにこれほど手練手管があるものだと、関心してしまうくらい色々あるということ。社会的地位を身にまとった現人神が有象無象の罠を仕掛け、下々が引っかかるのをふんぞり返って待っているかのような、ここは地獄の一丁目かとさえ思う。もっと爽やかな心境っていうか、仕事なんてどうせ嫌なんだから、せめて薄ら楽しくやっていこうっていう気にはならんのかしら。

自分を勇気づけて前に進まなければ、と思いつつ、こういう時だから本を読んだり考えたりして自分の中の凝り固まった思考パターンを一度壊していらないものは捨てて再構築する時期なのかもしれない。それまでの生き方では対応できなくなってきた。

よし、書いたらなにかスッキリしたぞ。明日は月曜日、かかってこいや喧嘩上等。カモン!