椎名誠が好きだ。国語の教科書にも載った「岳物語」や「全日本食えば食える図鑑」を学生時代に読み、「白い手」はいつ読んだか記憶にないが少年の懐かしい記憶がくすぐられてとても好きな作品。着飾りのない文書でとても読みやすい、大好きな作家さんの一人です。
僕の中の椎名誠のイメージは「作家仕事も趣味も冒険も酒飲みもグルメも、楽しみながら豪快こなす父親のようなはつらつしたオジサン」というもの。僕らが憧れるべき、趣味に生きる大人たちの中でも大自然的な、海外的な、アウトドアに寄った趣向を持っている。そんなイメージ。
そんなはつらつオジサン椎名誠も、実は78歳だということを初めて知った。しかし、その文書表現は年を取っていない。今読んでいる「ぼくの旅のあと先」は令和2年に発刊されたので、椎名誠が76歳の頃に出版したことになる。「そういやこのひと今いくつだ?」と調べるまで、はつらつオジサン椎名誠は50代なかばくらいのイメージを持たせ続けてくれるような、脂ののった滑らかな文書だった。あわや気付かなければ僕の中の椎名誠は今でも50代のはつらつオジサンで居続けた。
この「ぼくの旅のあと先」は椎名誠の魅力がとにかく詰まっている。椎名誠が体験した旅の短編エッセイが15話収録されており、事実は小説より奇なりとも呼べるようなドタバタ活劇もあれば、朽ちて行く人間の最後の姿を眺めるしんみりとした話もある。
「面白きこともなき世を面白く」を地で行くスタイルの椎名誠は本当にいつまでも父親のような頼もしさと、現代社会に生きる大人の男が感じるトホホな体験を描いている。椎名誠の頭の中をパカッと開いて、覗き見しているかのような感覚。まるで自分自身も、記されているその宴会の場や冒険の場、旅の宿、トラブル続きのガタガタな機内に居たかのような錯覚に陥る。
僕は大学時代の軽音楽サークルや、ゼミの研究室で仲間とそうとうバカをやったきた自負があったが、椎名誠とその仲間たちがやってきたことには劣ってしまう。悔しいがこれが経験と実力の差なのだろう。やっぱり大人は手強いぜ。
決して、清く正しく美しく生きることを否定するつもりはない。が、世の中には本音と建前という素晴らしい価値観がある。如何にしてバレないように仲間と悪いことをするか。その企み自体が楽しみであり、分かち合う達成感は筆舌に尽くしがたい。
つくづく思うのは、人生はなにか楽しみがないと平坦でメリハリがなくつまらなくなってしまう、ということ。なので僕自身も気のあった仲間とオンライン通話したり、次の土日にはビアガーデンでも行こうねなんて作戦を練ったり、日本一の夜空を見に行こうとか箱根に行こうとか、漠然ながらもそういう計画を将来の楽しみとして布石することで生きることに飽きないように変化を加えている。神宮球場でヤクルトの試合を見ようね、とか。そして共有できる仲間と生まれてきてよかった、という気持ちになるのを一つの目的にしている節がある。こんなこと書いたら重いか。
本書に記されてあったエピソードで、椎名誠は毎年、年末に仲間数十人と民宿を貸し切って旅行をしているらしい。そこでは民宿のお風呂に普通なら4人だけど詰めれば8人はいけんじゃないかよしやってみようとか、電車で来る仲間を黒コートを着て一列になって「ご苦労様です!」と言って迎える、とか、なかなか下らないことをしてる。もしかしたら女性なんかは大の大人が年末に何を、と呆れてしまうだろうが、むしろ男性にとっては「これこそ!」と歓喜してしまうような魅力的なイベントの数々に羨ましく思ってしまう。これ。これなのだ。こういう下らないことを大人になってもできるという自信と分かち合える仲間の存在が、何より人生を輝かすことに繋がるのだと確信できるのだ。
特定の誰かに向けた言葉でもないのだが、78歳の椎名誠がこれだけ楽しく人生を送っているのだから世の50代〜60代の男性諸兄にはもっと人生を楽しく過ごして頂き、我々若輩世代を唸らせるようなはつらつとして艶のあるライフスタイルを見せてほしいと思う。稀に出会う「残念なおやじ」とは、本来良いことである真面目さが裏返ってしまい、気難しい印象が強く出、それをフォローしてくれるような楽しみを共有できる仲間もいない生活を送っていることが滲み出てしまう人のことじゃないかと分析しています。そうなりたくなければ、椎名誠のように悪巧みを楽しみながら生きてみたら良い。あと趣味も大事だと思います。趣味を通して交友関係は広がるし、人から何かを教わるには謙虚な心も必要ですからね。
話を戻そう!椎名誠の他に沢木耕太郎も大好きな作家さんで、このお二人に共通しているのが旅について多く書いているというところ。本書はタイトルの通り旅をテーマにした読み切りエッセイを集めたものです。さっきも書いたけど、その土地土地での椎名誠の体験や経験、思ったことや感じたことを追体験できるような、椎名誠の頭をパカッと割って覗き見たような気持ちになれます。椎名誠の旅行体験記はどこぞの国で食べたこんな料理が美味かったぜ、とか、どこぞの空港のアホバカマヌケ○○には辟易した、とか、何かを論じるでもないリアルな体験がそのまま記されています。これが追体験感覚につながるのでしょう。旅慣れた椎名誠ですらこう思うんだからそうなのだろうと、説得力もある。
それにしても世界は広い、と思い知らされる1冊です。様々な国が登場しますが、ちょっと普通じゃない国に行ったときの体験記が多く(椎名誠がそういう国が好きなんだろうと想像できますが)それをどう感じるかは別として、上下水道が完備されていて電気が普通に使える我が国日本って進んでるんだなと思わされます。
ただ、インドのガンジス川で日本人が感じる感傷としては、椎名誠も沢木耕太郎も、もしかしたら多くの日本人がガンジス川を前に同じものを感じるのかもしれません。また本書では風葬、鳥葬についても椎名誠がその土地で出会い(奥様が体験した話も含まれます)、感じたことが記されているので生死感をリセットされたような気がします。とにかく、日本の、日本人の「普通」は決して世界の「普通」ではないということがわかります。良くも悪くも。
椎名誠のエッセイは生々しさがあります。一つの出来事で学べることって実はそんなに多くなくて、後で「ああ、そうだったんだな」とわかることの方が大きいのかもしれない。椎名誠は綺麗事を並べるでなく、その時感じたことを素直に、足りるとか足りないとか、良いことを言ってカッコつけようとか、そういうことを目的としていない。椎名誠等身大の感想であることが生々しさの要因なような気がします。
うーん、こんな風に書くとそれすらも着飾ったような言い回しになっていてこそばゆい。何が言いたいかというと「椎名誠はいつまでもはつらつオジサンで、素直で素朴でちょっとおもしろいお父さんみたいななところが素敵なんです」と言いたいんです。
椎名誠の膨大な経験と旅の思い出を題材にした本書。ひとつひとつは短編エッセイなのでさくさくと読み進めることができて読みやすく、今の時期の読書にピッタリな内容だと思います。初夏の午前中か夕涼みに空調が効いたカフェで気軽に読んでほしい。
椎名誠旅団の一員になった気分になれます。