よねろぐ!

新潟県上越市で活動中のサポートドラマー。音楽から超どうでも良いことまで幅広くカバー。美味しいものはすこしだけ。

アメリカ6日目、LAS VEGAS編9部「ラスベガス最終夜。ファーバス?」(日記244)

Michael Jackson ONEは人生に影響を与えてくれるほど最高のショーだった。余韻に浸りながらホテルに帰るまでの話をします。

MGM帝国であるエクスカリバーニューヨーク・ニューヨーク周辺、ストリップの南側から移動する前にISSEIが前に大勝ちしたホテルカジノがあるというので立ち寄ってみることにした。

そしてそこで、僕はラスベガス...というより海外旅行の闇を経験してしまうのである。

そのホテルカジノは「OYO Hotel&Casino」OYOは上越にもあるくらい世界展開している格安ホテルグループだ。ラスベガスで格安ということは言わずもがな、古くて場末感が漂う。

ここのカジノも例に漏れず古かった。ストリップに展開しているリゾートホテル型のカジノとは違い、ドリンクを売ってくれるセクシーなねーちゃんもいなければフォーマルな格好をしたディーラーもいない。というかディーラーがいる時間はとっくに過ぎていたらしい。そもそもカジノ内はちょっと暗い。

MJのショーを見終わったのが23時前くらい。OYOまで歩いて23時半くらいか。深夜に場末のカジノは正直ちょっと怖かった。

ISSEIはスロットを打ち始め、僕は午後に手持ち現金のドルをほぼ使い切っていたのでカジノをふらふらしていた。バーカウンターはクローズされていたが、大きなモニターにアメフトが流れていて数人のおじさんがビールを飲んでいた。僕は手持ち無沙汰を隠せず、カジノの奥の方に行ってしまった。

すると壁に寄りかかった中年のおじさんに声をかけられた。

「ファーバス?」

僕は聞き返した「What?」

おじさんは腕をめくるようなジェスチャーと金属製の手持ちカバンを見せながらもう一度「ファーバス??」と聞いてきた。

怖くなった僕はラスベガス在住人たらしギャンブラー「パパ」のことを思い出し「NO~」とおちゃらけながらその場を逃げた。パパはカジノで叱られたときにこうやって切り抜けていた。

という一連の出来事をISSEIに聞くと「ファーバスっていうのはわからないけど多分ドラッグだね」とのことだった。怖えよ普通に。多分スロットも打たずふらふらしていた僕に目をつけたのだろう。

OYOを出る前、もう一度中年おじさんのあたりを見返してみたがもう居なかった。

それにしてもファーバスって何だったんだろう。帰国後色々調べたが出てこなかった。ただあのジェスチャー、確実に腕に何かを打つ系のアレだった。あそこで近寄って金属カバンを覗いたりしたらどうなっていたんだろう。ノウテンキな僕でも「あ、これやばいやつだ」と思うくらいな出来事だった。

海外で警察沙汰はご法度。対応できないんだもん。

OYOに入る前、警察官(白バイ)の人たちが何かの撮影をしていた。ラスベガスの治安を守るアメリカの警官たち。観光客を守ってくれと思った。ドーナツたくさん食べて良いから。

なんだかOYOのイメージが悪くなってしまったけど、OYOがどうこうではなく多分あの時間帯で人気の少ない古いホテルカジノは基本的にそんな感じなんだろうと思います。絶妙な暗さと絶妙な人気の無さでこそ「やりやすい」商売もあるのだと。

ストリップに面しているホテルカジノは古くても明るいし人は多いのでね。

さてこのあとはホテルに帰りますが、深夜1時くらいまで動いていると踏んでいたモノレールが0時で終了していたので急遽ウーバー(タクシー)に乗ることになりました。

そういえば初ウーバー。どんな感じかとワクワクしていたら普通の乗用車で普通のおじさんが迎えに来て、そのおじさんが他のウーバー仲間と永遠に通話していたので逆に気を使わずに良かったという感想。

この個人主義バンザイなホスピタリティの感覚に慣れてきている。

深夜1時半ごろホテルに戻りラスベガスの夢のような2日間が終わりました。本当に夢のような時間。1秒1秒が記憶に焼き付いている感覚。

最後ちょっと怖いことがあったけどラスベガスはまた来たい場所だと思っています。みんなこの街で夢を見ているんだな。

 

数時間の睡眠の後、明日は早朝から飛行機に乗りロサンゼルスへ帰ります。

ロサンゼルス旅も残り2日ちょっと。後半戦ではテスラ車に乗ったりシューティングレンジへ行ったりビーチでチルったり生オイスター食べたりします。