よねろぐ!

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ある華族の昭和史(日記167)

大好きな作家、沢木耕太郎さんがエッセイ「旅のつばくろ」でオススメしていた書籍、酒井美意子さん著「ある華族の昭和史」を読んでいます。

平成生まれの僕には天皇家を頂点に頂く日本の「お家の階級」というものに当然馴染みがなく、そんな時代が、しかも歴史的マクロに見たらごく最近まで存在していたことに驚きでした。そして令和になった今においてもその系譜は続いている。

その系譜と簡単に書きましたが、遡れば鎌倉幕府から戦国時代に没落と隆興激しかった各国大名家が、秀吉が関白となった時代から徳川幕府に至り明治新政府の頃に大名から爵位へ変化していったその「お家」の人々がどのような暮らしをしていたのか、ということがかなり細かく記されています。政治や軍事の実権を握る特権階級、士族の上に位置した階級で公爵、候爵、伯爵、子爵、男爵のことを華族と呼んだそうです。この辺の歴史的な流れもかなり詳しく述べられています。

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 著者の酒井美意子さんは加賀百万石で名を馳せた前田家のご長女として生まれ、その生活様式や教育、女子学習院での思い出、各種式披露宴パーティーの様子など、近代日本の名家の立ち振る舞いを実際に経験されており、成人後はマナー講師や作家として活躍されたようです。

今、マナー講師と聞くとWEB会議の上座だのお通夜の橋渡しだの、取ってつけたような宙ぶらりんのマナーが蔓延っているようですが、この方はなんたって天皇家ともお付き合いがあったようなお家のご長女、そのしきたりや知識は一般のそれとは一線を画すモノがあります。「ある華族の昭和史」を読んだだけの僕でもこの方のマナーはぜひ習いたいと思うくらいの本物さです。ガチ。

僕が驚いたのは女子学習院時代のエピソードに東久邇宮稔彦王が登場したり山県有朋のエピソードがあったりと歴史上の人物を親しく感じることができる点です。東久邇内閣、歴代日本首相の中で唯一の皇族首相内閣。近代日本の歴史でもこの頃はどうも認識が浅いのでいつか良い本があれば出会いたいものです。

共産主義的なエリート思想とはまた違う、ノブレスオブリージュな道徳観がこの時代の日本にはあったんだと思います。高貴な身分には血の責任が伴う。戦後生まれの僕らは受けてこなかった教育がそこにはあって、僕ら平民が憧れるこういった特権階級の人々は果たして蝶よ花よのきらびやかな生活を手放しに享受していたのだろうか。どうやらそれは否であるようで、こういった特権階級の人々が受けていた躾やしきたり、礼儀作法は高貴な精神性を持った日本文化の品性の防波堤の役割をしていたのだと僕は思います。

つまり日本の貴族たちが西洋の貴族たちとパーティーで同席する際、その立ち振舞いで日本の文化度や品性が決められてしまうので、無礼がないようにというよりかは品性を損ねないように、日本という国を貶めないように、教養を語学も含めその身体に刷り込んでおかなければならない。その努力は必ずしも楽なものではなかった、と思うのです。僕なりの解釈ですが、その生活がこの本には記されているんだと思います。

今まだ途中なのですが、読んでいる最中にこの品性の防波堤という言葉が浮かんできたので忘れないうちに書きたくなったのでした。

最近では階級社会は否定されがちではありますが、ノブレスオブリージュという道徳観から見たら現代の民主主義の脆弱性を認めざるを得ないのではないかと思います。階級社会の良いところって社会における役割だと思うんですよね。良い服を着て良い教育を受ける人は外交において母国の品性を貶めない、っていう重要なミッションを持っている。それが「お家」という枠に備わっていたということかなと。

 

さて書きたいことを全部書きました。この本の感想というより僕が思いついたことばかり書いちゃった。人気でお金が稼げる時代に品性は二の次になってしまっているんじゃないかって。

僕たちは平等になりすぎたのかもしれません。

著者の酒井美意子さんは大正のお生まれで平成11年にお亡くなりになられていますが、本を読んでいる時は著者と対話しているような気分になれるので時空や次元を超えた気持ちになります。なんならこの本も初版の発売は昭和57年。令和3年に手にとって感動しています。

時を、駆けている。