「文章を書くのが好き」という、わずかばかりのアイデンティティと盛大な承認欲求を武器に先月、少しだけライターの仕事をしまして、一回飲みに行けるくらいのお金をもらいました。
レビュー系の記事だったのだけど、なんの記事かは明かさないという条件。
僕は「この記事僕が書きました見て読んで拡散して!」という承認欲求爆盛り熱盛りのストーリーをイメージしていただけに、その反動がちょっとだけあって、個人ブログを書く気力がなくなってしまっていました。自分が得意と思っていた書評も、本を読もう、という気になれなくて停滞中です。
さしみ。
今年に入ってから「楽しみにしていた予定が潰される」という呪いにかかっているらしく、3月は糸魚川の温泉宿を予約したのに潰され、4月は神田伯山の長野独演会のチケットが奇跡的に取れたのに潰され、5月の連休はコロナ関連でほぼ自宅に居たという、なんともな状況です。
文章を書くことについて停滞している原因は、自分のマインドが「一本、強いのを」「体重の乗った記事を」「小難しい本に関する書評を」とハードルを上げている傾向にあることだとわかったので、こうやってどうでも良いことを書いてリハビリとしているのです。
仕事でもその気はあって、相手が求める図面とか資料のクオリティー以上のものを作らなきゃとオーバーに考えて、手が回らなくなってしまう。こんな経験をたくさんしています。
世の中には写真のさしみを500円で出してくれるお店もあるんだから。しばらくは気軽に好きなこと書いて更新しよ。
今になって世阿弥最後の花に出てきた「少な、少な、に」の意味がわかってきたような気がします。