よねろぐ!

新潟県上越市で活動中のサポートドラマー。音楽から超どうでも良いことまで幅広くカバー。美味しいものはすこしだけ。

見える世界がきらめくわ(日記96)

 高千穂とは遠からぬ縁の我が家に、なんともステーキな贈りものが届きまして歓喜

しております。歓喜の歌。

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  ふーん、えっちじゃん。とクールに流したいところだけど、この「ふーん、えっちじゃん」は果たしてクールなのか。どうなのか。前にもどこかの記事で書いたけど「えっち」というのは褒め言葉であって、決して俗世的な、欲にまみれたダーティーな形容詞ではないのです。

 まぁ、僕の今のテンションで言えば「えっちじゃん!!!!!!!!!(歓喜)」くらいの高ぶり、いきり立ちなのですけどそれは心にしまっておこうね。明日の夕飯が楽しみです。

 

 心にしまっておこうね、の話をします。

 僕は最近「なにかいいことが起こるような予感」という、得体の知れない自信に満ちています。それは何もしなくても仕事がうまくいく、だとか、宝くじに当たる、だとかそういうタナボタ的な観測ではなくて、

なんていうか、「この日常生活の中で喜びを感じて生きている実感」

うーん、僕の語彙力ではこれが接近の限界だ。とにかく「喜び」とか「活き活き」とか、「ワクワク」とか、そういうものを身近に感じながら毎日過ごしているということが言いたい。充実感と言ってもいいと思う。

 こでが湧いてくる理由はコレ!っていう確たるものがあるんだけど、それは「心にしまっておいて」、2019年がとても充実して満足のいった一年だったっていう達成感の裏付けでもある。

 「観の転換」というのか、「常勝思考」とも言うらしい。何かにつまづいてもそこから何かを得て糧にするっていう考え方で、最近これを意識的に想ってるせいか、何をしても何らかの「得たもの」がある。

 やっぱり世間は、本当に広い。ということが今年よくわかったんです。広い世間で嫌なこと、嫌な人は目につくけど、その中でも点在するローソクの火みたいに世の中を明るくしようとしてる人たちって本当に存在してる。んで僕は今年を通してそういう人との出会いがぽっぽっぽっと続いた。

 僕もなんだかそういう人から元気をもらえた年だったので、少しお返ししようと思ってこんな記事を書いているわけ。自分の中の価値基準がすこし前後して、喜びと感謝のセンサーが敏感になった。ああこの言い方かなり近い。

 

 んと。ここまで書いてなんか自分の考え方の迷路を大公開してるみたいでとても恥ずかしい気持ちになった。でもせっかく1000文字書いてもったいないから公開するけど。

 このブログ読んでる物好きな人はこういうの書いたって「へー」くらいで流して(勘弁して)くれそうな優しい人だと思うのでね。

 

 

 ん、なんのこっちゃわからん記事になってしまった。

 なんでかというと、「僕が本当に言いたいこと」を躱しつつ意図だけ伝えたい、っていうとても卑怯なことをしようとしているから。今日はその実験だったみたい。

 好きな人に好きって言えないから理屈こねて会おうとしてるみたいな。意味としては同じ。例え話よ。

 

 今日の研究結果。

 「言いたいことを心にしまってるくせに伝えようなんてずるい」