よねろぐ!

新潟県上越市で活動中のサポートドラマー。音楽から超どうでも良いことまで幅広くカバー。美味しいものはすこしだけ。

歩幅(日記171)

あまり意識したことはなかったのだけど、僕は比較的歩くのが遅いようだ。これを思い知ったのが昨日の記事でバスセンターのカレーを食べに新潟市の万台橋を歩いて渡っているとき。

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この日は日差しが強かったものの、風は冷たくて心地よかった。

 新潟市は都会なので歩く人が結構いた。僕はカレーを食べに自分の思う普通の速度で歩いていたのだが、後方から、OLさんたちが喋りながらゆうゆうと僕を追い越していった。

はて。

僕は正直、運動は嫌いじゃないし、仕事でも結構歩くのでそこまで遅いと思ったことはない。現に足の回転数はOLさんたちとほぼ同じ。でも実際に僕よりOLさんたちの方が巡航スピートは早い。なぜ。

と、僕に電撃走る。気付いてしまったのです。気付かなくても良いことに、気付いてしまった。そう、僕は足が短いのだ。回転数が同じでも足が短いので距離が稼げない。だから結果的に遅くなってしまう。32年目の真実に恐れおののき、狼狽する。

思い返せば僕は身体的短所を指摘されるのにめっぽう弱く、遡ること小学生時代からいろいろと言われたことを未だに気にしていたりする。が、足の短さはさして指摘されたことはなく今までのほほん生きてきた。そういえばユニクロで買ったスキニはいつも丈が余るし、ちょっと足首が出る長さのパンツがジャストサイズだったりと、今まで見て見ぬ振りをしてきた。困難に直面したときに大切な心構えは目を背けず受け入れることだとなにかの本に書いてあった。

というか。

先日、糸魚川のラバーズたちと「僕らって大人といえど『こんなもん』じゃないっすか」と諦めのような自虐のような話をした。僕ら人間、欠陥だらけ。でも楽しさを見つけて生きてます。こういう認識を持った人間はなんだかんだ強いと僕は思います。今更足の長さでなんだというんだ。むしろじゃあ足がもう少し長かったらなにか変わっていたか、と。大勢に影響はなかったはずなんです。

なんだか結局、世の中と自分って身の丈にあった収まりの良い関係なんだろうなって思います。自分はどのくらいを望んでも良いのだろう、って考えたとき、結局自分の処理できるくらいのものが丁度よく収まるんだろうなって。で、幸せってそのあたりにありそうな気がする。

平日は勤勉に働いて、夜はぐっすり眠って、週末はちょっと美味しいものを食べる、くらいが丁度いいんだろうなと思います。