よねろぐ!

新潟県上越市で活動中のサポートドラマー。音楽から超どうでも良いことまで幅広くカバー。美味しいものはすこしだけ。

未来で待ってる(日記152)

僕が最後に覚えているのは昨年12月28日の夜、糸魚川のともみブラザーと焼き肉を食べたこと。「年内遊べるのこれで最後だから遊んでくれー」って言ったら来てくれた。食べ放題の良いコースで、美味しい焼肉と野菜をたくさん食べた。幸せな時間でした。

それ以降のことは覚えていません。気がついたら1月15日になっていました。その間、雪が降っていた気がする。何日も寝ていなくて、何時も職場に泊まっていて、24時間に僕のスマホが100回くらい鳴る日が何日かあったような、気がする。

 なにか変わった事があるとすれば、それまで上司のおっさんにそれでも部下として振る舞っていたのだけど、おっさんはこの豪雪災害のとき何も手伝ってくれなかったし、このピンチを自分中心で除雪チームのみんなで乗り越えた自信のせいか、おっさんにタメ口で話すようになったこと。おっさんは僕の横柄な態度に不機嫌だけど、僕たちが必死で仕事していたときお前ぬくぬく家で過ごしてたんだよな。文句があるなら早めに言いなさい。誰のおかげで良いお正月を迎えられたと思っているのだ。

にしてもすごい豪雪でした。除雪チームのオペレーターのみんなとよろしくやりながらやり繰りして、担当の路線をきれいに普通に車が通れるようにするこの仕事は結構好きです。今回のはすごかった。過酷。冒頭に書いたのは割と冗談じゃなくて、僕の中で睡眠不足とストレスから記憶障害が出ています。ろれつがまわらず、感情の起伏が激しいです。命を削っている実感がある。

でもみんなの頑張りと、僕自身の頑張りで、僕の会社の担当路線は問題なく車が走行できる状態を保つことができました。誰にでもできないことだと自負しています。多分僕でなければできなかった。今の気持ちは「できるもんならやってみろ」と本気で思っています。

途中、街の方の除雪が追いつかずタンクローリーが来れなくなったため給油できなくなるトラブルが起きましたが、会社近くのガソスタさんの気合いのピストン輸送でなんとかなりました。本当にありがたかった。多分僕らだけでなく、ガソスタの人も夜通しピストンしてたんじゃないかな。お陰様でなんとかなった。

除雪についていろんな意見をTwitterで見ます。業者としての僕の意見は、「街場の業者何やってんだもっとちゃんとやれ」です。除雪が間に合わなくて緊急車両が通れなくなったら、僕らの責任だと思っています。救急車が通れなかったら、消防車が通れなかったら。命に直結する仕事なんです。

そんな僕からしたら今回の街場の業者の対応の遅さは異常です。初動の遅れがすべての原因だと思います。出動指示が遅れたから、オペレーターが出勤できないくらいの積雪になってしまった。深夜の出動をためらったせいで全ての選択肢が失われたんだと思います。災害、想定外と言ってこんな状態を許すのなら、命削って路線確保している僕らの努力を否定しているのと同じです。自分の仕事のミスで一般人が死んでしまうリスクがあることをなんとも思っていないのでしょうか。

あと市や県の判断の遅れも致命的でした。復旧までに時間がかかりすぎです。こうなってしまっては路線の優先順位決めて上から終わらせていくしかないと思うのですが、上越に5本しかない国道のひとつ405号は何日塞がっていたのか。普段僕ら受注者に高圧的な態度をとっている割にこういうときの判断が遅いのでは、おたくら立場ないっすね。

山間部の行政機関はさすが対応に慣れていて、我々業者との連携もバッチリでしたね。問題のフォローアップをしてくれて、こっちとしては動きやすかったです。今回の豪雪で問題だったのは街場でした。

 

いろいろ書きましたが、なんか今回の豪雪災害で僕は自分の会社についてよく知ることができた気がします。非協力的な従業員だったり、何もしない上司は本当になにもしないことだったり。逆に強みも見えてきました。

ピンチはチャンスと言います。少し引っ掻き回して働きやすい環境に近づけてやろうかな。

僕はしばらく休みがほしいです。

本当に体が、特に脳がおかしい。