攻殻機動隊という作品があります。僕が最初に見たのは劇場版のアニメで、高校生になってからTVアニメ版を見ました。漫画はいつか行った都内の漫画喫茶で読みました。「機械の中の亡霊」という本がもとのテーマになっているようです。
攻殻機動隊は難しい作品なので何回見ても作品についての考察や時代背景など、全てを詳しく説明できるほどではないのですか、ひとつとても興味深いテーマがあります。
「人間は肉体が変わって、記憶がデータとして移植されても自我を保つことができるのか」
というもの。これを作品では勘や経験と併せてGHOSTと呼んでいます。
20代後半、もう30の大台がすぐそこまで迫ってきている僕。先日、生まれた家(いわゆる山の実家)のかつての自室へ行きました。幼稚園、小学校、中学校、高校1年生までをこの家とこの部屋で過ごしました。
部屋にはおもちゃとか漫画とか、整理しきれてないモノがたくさんあって、その全てに愛着というか、辛かった思い出とか、楽しかった思い出とか、「ああ、かーちゃんに怒られた時この漫画読んだな」とか、そういう感情が刷り込まれた記憶が湧き上がってきました。
ふと、これが曰くGHOSTなのかなぁなんて思ったんです。
記憶は映像と、音声と、脳内で聞こえる自分の考えてる声と、匂い、くらいなもので、もしデータとして残すとしたらきっと大した容量じゃない。けど、それらのデータの裏側に確実に自分が体験した、自分の想いが張り付いてそれぞれの音声とか映像とかを紐付けしていることに気付いたんです。
こういった紐付けがなければ映像や音声や匂いはただの情報でしかなく、「ヘッドホンしてカレーを食べてる動画を見ながらカレーの匂いを嗅いでいる」だけなのだと言えると思います。
そうじゃない、このカレーは「おいしいけどちょっと辛いな、このあと何をしようかな」と思いながら自分が食べたんだ、という裏付けを常に、僕ら人間は情報に紐付けしながら日々を過ごしているんでしょうか。
攻殻機動隊、TVアニメ版の中では「ゴーストコピー装置」なるものが登場します。装置の被験者は数回で廃人になってしまうそうです。裏付けの情報量が多いのか、自分の意識外の想いを吸い出されるのに耐えられないのか、どうなのでしょうか。
現代、いよいよスゴイことになってきているようで、生きているうちに脳とコンピューターを繋げて生活することが当たり前になるかもしれません。