よねろぐ!

新潟県上越市で活動中のサポートドラマー。音楽から超どうでも良いことまで幅広くカバー。美味しいものはすこしだけ。

もののけ姫(日記130)

 「人生で一度は、映画館でジブリを」ということで、千と千尋の神隠しゲド戦記→と続いて3作目はもののけ姫を見てきました。

 

 回数は一番多く見たと思います。テレビ放映されたものをVHSで録画して、それを毎週末見ていたのは小学生の高学年くらいの頃でしょうか。セリフを空で言えるくらい見ました。

 今回、相当久しぶりに見たので千と千尋ゲド戦記のように当時とは何か違った感想が出てくるかと思いきや、なんだか上滑りしそうな、薄い感想になってしまいそうです。

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 今回も岡田斗司夫さんの解説動画で予習してから見ました。さてどこまで書けるかな。

  やっぱり映画館で見ると音がこんなに違うのかと思いました。アシタカに射抜かれ倒れたナゴノカミの元にヒイ様が来たシーン。「かしこみかしこみ申す、この地に塚を築きあなたの御霊をお祈りします」のところ。ヒイ様のセリフの裏でナゴノカミの深~くて重~い呼吸の音が入っていたのに初めて気付けたのは映画館の音響のおかげ。低い音すぎてわかんなかったよ。

 そしてナゴノカミが呪いの言葉を吐いた後、溶けるときにニヤッと口角が上がる演出。岡田斗司夫さんいわく「宮崎駿さん絶好調ですね」

 もののけ姫の時代背景をもう少し落とし込んで見たほうが僕が楽しめたと思います。当時の大和朝廷、ミカドの存在とアサノ公方(大名?)のバランス関係。明らかに暗殺部隊のジコ坊率いる唐傘連と、それを操る師匠連。傭兵部隊の石火矢衆。あ、でももののけ姫自体、一つの森に関係する

人間と神様の話だから、当時の国体とかはそこまで関係ないのかも。

 岡田斗司夫さんの解説の中で僕がすごく興味湧いたのは、呪いを受けたアシタカは本人も気付かないうちに時限式報復兵器としてタタラ場に送り込まれたということ。送り込んだ黒幕はまさかのヒイ様だということ。

 日本古来の考え方で呪いというのは「呪いを受けたら相手に返さないと解かれない」というルールがあるらしく、エミシ村の巫女さん的存在のヒイ様はその因果を知っていた。呪いを受けたアシタカは「なんで西国で起きた事変に村が巻き込まれ、自分が呪いを受けなければいけないんだ」という納得できない怒りから、アシタカ自身がタタリ神になるはず。

 そんなアシタカを元凶のところへ送り返し、なんならタタリ神に進化したアシタカをその元凶の場所で暴れさせ、この最悪を鎮めようとしたのがヒイ様。という話。

 そのアシタカが持つであろう「なんで俺が」という怒りの感情を表に出さないで「私もカヤを思う」といって微笑むのが、アシタカの本当の優しさなのだそうです。そんな優しい好青年アシタカに向けた宮崎駿からの贈り物が、見送りに来たカヤと分かれた次のシーン。

 ものすごい美しい背景を壮大なBGMでヤックルに乗って駆けるアシタカのこのシーンは、そういう不条理に対する怒りを持って当然なんだけど、それを押し殺して村を出るというアシタカの内面を考えたらとてもとても大事なシーンなのだそうです。

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 人は本当の絶望に面したとき、穏やかに優しくなる、という司馬遼太郎の考えに感銘を受けた宮崎駿が作り出したキャラクターがアシタカなのです。

 さて村に取り残されたカヤ。その後のサンとの出会いを見るとアシタカプレイボーイ説が囁かれて当然だし、黒曜石の小刀をプレゼントしちゃうアシタカもアシタカなのだけど、これには一つ答えがあるようです。

 これはぜひYou Tube岡田斗司夫さんの解説動画をみてほしいんだけど、アシタカとカヤには子孫がいたということらしいのです。そしてアシタカとカヤが夜に二人きりだったのはあの晩。

 そういうことらしい。そうなんだってさ。

 んで、宮崎駿にしてみたらその後アシタカがサンといい感じになっても、なんならサンを連れてエミシ村に帰ってきても、アシタカは将来部族の王になる人間なのだから(一夫多妻でも)それはそれでいい。のだそうです。ほえー。

 あとは、子供がいなくて怪我人を見捨ててしまうタタラ場はまだまだ社会集団として発展途上だ、とか、モロと乙事主は昔いい関係だった、とか、

 モロとエボシは対比する2人の母親として描かれている、とか、ヤックルがとにかくかわいいとか。

 そう、ヤックル。かわいいヤックルかわいい。あの子、最初は子供山犬にビビり倒してたくせに終盤、猪から這い出してきた子供山犬といい感じだし、シシ神の島に上がらないで待ってたり。足に矢刺さってんのに着いてきたり...。もう。なんで...はぁ....。

 おトキさんいいっす。あと片手で開門しようとしたアシタカに「あなたは仲間を助けてくれた。敵にしたくありません」とか言う黒い門番イカしてるクール。相変わらず飯がうまそうです。おひつに入った白米と大根の煮物おいしそう。

 牛飼いの親分もいいぞ。タタラ場のみなさん明るくてしっかりしてて、いい村になると思う。大屋根の炉だけじゃなくて、鋼の検品夜もしっかり働いてるもんね。すごい。

 

 人を恨む、てなんだろう。恨みとか怒りを練って練って呪いにして、それを相手にぶっかけて不幸を期待する。けど、その呪いはいつか返され自分も喰らう。

 ナゴノカミの怒りは何も関係ないエミシ村に当たってしまうのは不幸だと思うし、ナゴノカミもそんなことは願ってなかったんだと思う。本当はエボシにぶつけたかったけど、石火矢に敵わなかったのか、怒りすぎて「人間だったら何でもいい」と奔り続けてしまったのか。

 僕はもしガチで人を恨んだなら、その呪いは目標に対して確実に当たって欲しいし、その効果は絶大であってほしいと思うはず。それが自分に何らかの形で返ってきても構わない。(後で後悔するかもしれないけど)

 むしろ無関係なところが不幸を食らってしまうのなら、ソッチのほうが気になってしまってなんか申し訳ないなぁと思う。

 世の中、自分は無関係だと思っていても気が付いたら無関係でいられなくなるってことは多いのかもしれない。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている、のだ。

 無関係の呪いを受けてもアシタカみたいに凛としていられる人っているのかしら。

 シシ神様の首を落とした後、黒いドロドロが追いかけて触れた石火矢衆が静かに死んでいく描写と落ちていくコダマ。倒れる木々。あのときの曲は絶望感満載でとても好き。

 

 そんなところかしら。書きはじめたら思いの外筆が進んだ。

 次はナウシカだ。いついこう。